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「家事は手を抜ける部分は極力抜きまくって、時間をひねり出し勉強にあてました」
〜申告書はコピーして様式に慣れること〜
平成7年度通関士国家試験通信教育講座受講
山口県 上杉利佳子(38才)極東興産(株)勤務
私は、昼間は普通の会社員、そして家に帰ればまた普通の主婦であり、母でもあります。家族構成は、夫1名(複数は不要)、子供2名(中学3年の息子−彼も受験生、中学1年の娘−“シャ乱Q”大好き娘)です。毎日8時間は会社で仕事をして、それから家での家事をこなすだけでも大変だというのに、その上さらに今回の通関士の勉強が加わったわけですから、我ながらこの1年は随分と無謀なことをしたものだと思います。そもそも「通関士」なる資格があることを初めて知ったのは、昨年の1月頃でした。たまたま会社の上司から知人に通関士の仕事をなさっている方がいらっしゃると聞き、興味を抱き、さっそく調べてみたのです。その折、日本関税協会が通信教育を行っていることを知り、2月に申し込みました。
私の場合ただでさえ時間に追われる毎日ですので、勉強の時間をどこまで作り出せるかが一番の難題で、内心とても不安ではありましたが、とにかくスタートすることにしました。3月に最初のテキストが送付されてきましたが、中に書かれてある言葉の意味などがサッパリ分からず、これはとんでもないことを始めてしまったかな…と正直なところ後悔しました。私が関わっている仕事は全然通関業務とは縁がなく、どれも初めて見ることばかりなのですから当たり前です。ミッションの車の運転で言えば、ここで車はゆっくりと発進しギアがロウに入ったようなものです。
3月から5月までは、とにかくテキストを熟読し、そして毎月の添削問題をテキストを見ながら埋めていくだけで精一杯でした。勉強時間は毎日、大体夕食後の2〜3時間をあてました。忙しい時は洗濯機を回しながらすることもありました。休日も子供の用事がない日は極力テキストに目を通すようにしました。このころも用語の意味などまだほとんど分からない状態でしたので、まるで車が霧の中をノロノロと走行しているようなものでした。
そして、6月からはいよいよ問題集にとりかかることにしました。ここで車のギアは、やっとセコンドギアに入りました。短答式と記述式とありますが、まず短答式から始めました。何故なら、記述式はあまり早くから始めて試験直前に忘れていては何もならないと考えたからです。私は、この問題集を徹底的に制覇して頭に入れることを最大の目標にしました。短答式の問題を解くに当たっては次の順序で行いました。
(1)問題を読み、答えをノートに書いていく。
(2)少しでも疑問を抱いた問題には、番号の横に必ず印(○でも×でも何でも良い)を記入する。(そうしないと、例えその答えが偶然合っていたとしても、それは本当に分かっているものではないので、次は間違える可能性があるからです。)
(3)答え合わせをして赤のペンで正解を書く。
(4)重要だと思えるポイントを書き足す。
以上の要領で自分なりの解答ノートを作っていく作業に当初は1ヶ月を予定していたのですが、問題の数が予想以上に多かったため、結局2ヶ月もかかってしまいました。しかしこれによって、ようやくそれまで分からなかった内容の意味が分かるようになり、目の前の霧が晴れてくるような気がしました。
気がつくと暑い夏−8月に入っていました。ここで車のギアは、サードに入った感じです。問題集の短答式の問題を前記(1)から(4)の要領で繰り返しました。2回目は1回目とは違う印を記入していきました。そして、さらに3回目は2回目とは違う印を…というようにして、結局4回行いました。そうすると、いくつも印のある問題が、自分のウイークポイントだということがわかってきます。私の場合、関税定率法の箇所が1番多く、この分野がどうしても不得手というか、体質に合わないと言うのか、同じ所でつまずいているのに気が付きました。ですから、この定率法の所はさらにもう2回反復しました。私は、あくまで答えは問題集に記入しないようにしました。その理由は、一度書いてしまうと次に見るときに答えが先に目に入ってしまい、既に分かったような気になって思考を止めてしまうといけないと思ったからです。
そして8月も終わる頃、記述式に取りかかりました。通関士の試験においては、この記述ができなければ合格はまず無理です。記憶するには書くことが最適だと思い、初めに例題を一通りノートに写しました。2回目以降は、汚い字でも良いから何度も書こうと決め、もう手がダルくなるくらい紙に書きまくりました。輸出・輸入申告書は、そのひな型を数10枚もコピーしたものに記入していき、この様式の書き方に慣れるようにしました。そうして、どうにか記述式も書けるようになった頃、問題集も1冊では不安になり、書店でもう1冊買い求めました。その中に国家試験と同様の模擬試験問題がありましたので、9月半ばの日曜日にさながら国家試験本番のつもりで挑戦してみたのですが…結果は、何と!短答式が6割、記述式が3割ぐらいしか出来ていません。ショックでした!
−ここで、私の車のギアは遂にトップへ入りました。この日からは、もうスピード違反で捕まってもいいつもりで、まさしく“エンジン全開”になりました。家事は手を抜ける部分は極力抜きまくって、5分でも10分でも時間をひねり出し勉強にあてました。休日も当然一日中家に缶詰状態で机に向かいました。この頃夫が「この家で一番勉強しているのはお母さんだね。」と、子供たちに言っているのが聞こえました。これまでの自分の弱点を克服するつもりで、何度も問題集やテキストの大事な箇所の確認をしました。そうこうしてる内に10月15日−試験当日の日が来ました。前日に息子が買って来てくれた昼食用のカツサンド(「カツはゲンが良いかもしれないよ。」と言ってくれました。)と、娘が書いてくれた激励の手紙と、そして自分の苦闘の後がうかがえるような手垢で黒ずんだ問題集とテキストを鞄に詰めて、試験会場へ向かいました。
第1時限目の通関業法は、ほぼ予想を裏切らない問題ばかりでしたが、第2時限目の関税法は、見たこともない問題が頻繁に出てきてかなり難しかったものの、それでも何とか埋めました。次に第3時限目の通関実務は完全にパニックに陥りました。初めに一通り見て出来るのからやっていこうと思ったのですが、短答式にしても、記述式にしても、どれも分かるものがないのです!このとき、自分でも激しく動揺するのがよく分かりました。今、ここで、この問題が全滅であったら、合格はまず不可能です。ここで自分が諦めたら、これまでの自分の苦労がすべて水の泡になる。あの勉強をまた来年も繰り返すことなど、とても出来ない…と考え、必死で冷静さを取り戻そうと努めて、とりあえずは短答式からじっくり考え直しました。ここで集中力を発揮できるかどうかが、合否の分かれ目となるような気がします。
試験が終了して家に帰ってからは、緊張感から解放された安堵感と疲れとで、頭痛がおこり、バファリンを飲んでやっと眠りにつけました。そして、12月23日−合格証を現実に受け取った瞬間、飛び上がりました。私は、その合格証を真っ先に息子に見せました。息子も高校受験を控えていましたので、“次は君の番だよ…”と、励ますつもりでした。親子で受験生だった平成7年は、とても思い出深い年となりました。最後に、日本関税協会の添削問題の解答は随分と詳しい解説がされていたので、とても参考になりました。どうもありがとうございました。こんな自分でも合格できたのは、そういった指導と、また、家族の支えがあったからだと感謝しています。途中でくじけそうになっても、ひたすら諦めずに続けて行えばゴールは必ず見えてきますので、これから受験なさる方々も、是非頑張って下さい。“継続は力なり”−これは本当に重みのある言葉だと思います。
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